全てにおいてお金が基準
地球はお金に支配されています。物資の為替として通貨を用いる事で発展して来た事は確かでしょう。
しかし、

金持ちが天国に入るよりラクダが針の穴を通る方が容易い。
今の世の中どうでしょうか?
生きる必要最低限でさえお金は必要で、無ければ何も出来ず、有れば大体何でも出来ます。そして、心では無くお金で人を判断するのです。
幼少期からお金の重要性を刷り込まれ、貨幣制度は上位世界の優れた制度と勘違いする人もいます。天国入りを果たしていない、言ってしまえば、下位世界の制度なのにです。
お金の為に日々虐殺される
生きる為に必要な食糧は神に許されています。しかし、現在の先進国などで動物を殺戮して食糧にする絶対的必要性が本当に有るでしょうか?
宇宙全体で見れば、地球は地獄の野蛮な原始人の惑星で、その必要な要因は肉では無く、概ねお金です。
現実的に矛盾を感じる畜産の必要性を騙る人がいますが、本当に生きるため肉が必要な人へは、地域やお金の問題などで届いていません。
結局自分たちさえ良ければ良いのであって、余剰分の施しを政策に掲げる様な人はいてません。
健康的栄養の為に必要?
菜食だけでは不足する健康的な栄養は魚を食べれば十分です。むしろ、肉は現代病に繋がる要因と囁かれ絶対性が無いのに、絶対だと思うのは正に洗脳状態でカルト信者になっています。
誤解無きよう言いますが、動物愛護団体系の愛と勘違いした言動に思う事もあり、下手すれば冷酷と捉えて僕に愛が無いと言われかねません。
また、畜産業者を責める気などありませんし、極力肉を避けようとは思いますが、既に存在する事と割切り肉も食べています。
僕が言いたい事は、お金の為に殺される必要性の無い命が奪われる反面、お金が無く余る食材ですら分け与えられず飢餓で苦しむ人々がいる現実です。
10人に1人とされる飢餓の人々の為に無駄を無くして与える。
たったこれだけが無理なのは何故でしょう?現実は厳しい理由は何でしょう?行き着く結論は結局お金ではないでしょうか?
貨幣はあくまでも為替、現物の替わり代用であって本質的には紙か金属、最近はデータです…
天国には無い貨幣制度

神と富の2つに仕える事は出来ない。
貧しい人に施しなさい。
それでも、必要以上にお金や財産に執着して永遠の苦しみを選びますか?
有っても無くてもお金に執着している人が愛を高める事は出来ません。
天国は愛に基づく奉仕社会と認識して、現実的に今を生きる以上お金に執着しないで下さい。

わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。
また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。
世界の貧困や飢餓は募金や寄付で解決しない問題と知りながら、何故、根底にある貨幣制度改革の流れには、ならないのでしょうか?
全てにおいてお金で制限され不自由極まりないにも関わらず自由と洗脳される奴隷制度です。
独裁国家といわれる国と比べて日本は、ある程度自分で選べる分恵まれていますが…真っ先に助けるべき人達へは余りにも制限が多く根本的に解決出来無い、自身の無力に心を患う事しか出来ません。
格差が生み出す虚構世界
お金の為に裏の読み合い騙し合いが当然の様なこの世では、心と言動が一致しない事を優しさや気づかい、社交辞令、マナーなどと言い嘘を嘘だと認め無いのです。
都合が悪い事をタブーやモラル、デリカシーなどと言い触れさせず考えさせず、虚構世界を作り上げています。
競争が格差を生み不公平で不平等な社会を作るのに、欲に駆られて根本から目を背け、自由を奪い虐げるお金を崇拝する拝金奴隷だからです。
本能で動く獣から卒業しないしさせません。
貨幣制度の損益分岐点は超過
現実は、競争が生み出した格差によって、強制的に強要され、虐げられ搾取され、生きる為に協力するしか無い、多くの自由を奪われた人々が競争させられる中、協力する事で発展して来たのです。
協力と競争は本質的に相容れぬ言葉で、屁理屈抜きに混じる事はありません。
協力とは対等な関係で初めて成り立ち、対等で無ければ別の言葉で表現する事を協力だと言い間違いか悪意です。
もし、この世界が競争を辞め、皆が協力して皆の為に奉仕する格差の無い社会になれば、環境破壊や無理も無駄も無くなり速やかに発展進化していく事は、お金に囚われるほど想像出来無くなります。
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